AIによって時代はどう変わっていくのか?

人はストーリーで世界を理解している

 
囲碁や将棋の世界では、もはやAIに太刀打ちできる人間がいないという状況になりました。どうやらAIは人間を超えたのではないかと思う方もいるでしょう。しかし現実として、人とAIを同じ土俵で比較することにそれほどの意味はありません。

それは、人はストーリー(物語)によって世界の森羅万象を把握しているからです。人は出来事をストーリーで記憶し、ストーリーで情報処理し、ストーリーで伝達しています。その大きな例が、世界を擬人化して理解する宗教や哲学、科学です。

一方のAIにはストーリーはありません。あるのは膨大なビッグデータと、それを「超」高速かつ合理的に処理する計算能力です。そもそも人とは異なるプロセスで動いています。AIは人をデータベース化して理解しています。ところが、人はAIを擬人化して理解しようとしています。

人は自分の目で見たり、耳で聞いたり、手で触れた出来事を、脳に伝えて情報処理をします。その情報インプットが時系列に沿っておこなわれています。それらの個別な情報は、脳内でストーリーとして組み立てられることで意味を持ってきます。

さらに自分では理解できない出来事に遭遇すると、神様というキャラクターを作り上げ宗教で説明をします。何度も再現性のある出来事ならば、そこに共通性や法則性を見いだすことで、哲学や科学という言葉で説明をします。

これらはすべてストーリーです。人はストーリーがないと世界のすべてを理解することができません。だからAIに対してもストーリーで理解しようと試みます。

人とAIが将棋や囲碁の対戦をし、人が負けたというのは当たり前のこと。あたかもデータベースのような高度に合理的なストーリーを組み立てる能力に秀でたプロ棋士立ちは、その思考過程が人間離れしているがために、逆にAIに勝つことができません。

要は、膨大な電力を背景とした計算能力を持つAIに対して、3食のご飯で動く生身の人間は勝てないのです。人と車でスピード競争が成り立たないのと同じこと。

将来、今ある職業の多くがAIによって失われるという危惧があります。これは、江戸時代の飛脚が現在のインターネットや物流に置き換わったのと同じ事です。人の思考過程が、より合理的に処理できるAIに置き換わるということです。

となると、中世以前は神様のなせる技という宗教で説明できたことが、産業革命によって科学という言葉に置き換わったような現象がこれから起きるかもしれません。今、時代の流れが変わりつつあるというのは、こういうことが起きようとしているのだと思うのです。

 
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読書は読んで試して気づいて成長するツール

読書で他人の成功体験をパクっちゃえ!

 
数年前まで年間200冊以上の本を読む人でした。量を読むことで何かが得られると信じ切っていました。

こういう読書スタイルって、自己啓発好きなサラリーマンに多いタイプですね。何冊読んだかを競うような読み方です。

正直なところ、今はそれほど本を読んでいません。週に1〜2冊くらいです。その代わりに、以前とはまったく違う本の読み方に変わりました。

1冊の本をパラパラと自由に線を引きつつ汚しながら読み、気になったことを実際に試してみるという読み方です。たいていの本は最初から最後まですべてを読んでいません。

読書をすることで何かを得たいと思うなら、一つの本から一つの事を得るくらいの気持ちで良いと思います。

その本の1割しか読まなかったとしても、それを実践してみて何かの気づきを得た後に、残りの9割を読めばOKです。

読書は、読んで、試して、気づいて、(自分が)成長するツールです。本の事情なんてのはどうでもよく、まずはそこから自分が何を得て成長できるかに注目すべきでしょう。

そういう意味で、読書感想文なんてのは趣味の領域の読書です。本の内容をまとめたところで、そこから何も得られません。自分で何らかの行動をしてみた結果によって、初めて何かが得られます。

本に書いてあることは、自分がなし得ない経験をした人のノウハウやマインドが詰まった、いわば他人の脳みそをコピーしたお宝の詰まった指南書。どんどん他人の成功体験をパクリましょう!

その他人の蓄積したノウハウやマインドを追体験し、その結果として自分が何か気づきを得る。実践した気づきを得ることこそが読書の落としどころです。

 
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10行ブログで記事を量産計画始動

ブログは質より量

 
先日、見れなくなってしまった6年間のブログには、積もり積もった2000以上の記事ストックがありました。

2000というと結構な量ですが、それを6年で割ると1日1記事程度の量でそれほど大したことではありません。仮に1日6記事を書いたとすれば、たったの1年で書けてしまう分量です。

なんでそれほどに記事数にこだわるのかというと、それには理由があります。それはブログは質より量だからです。

どんなに記事の質を高めたとしても、それが検索に引っかからない限り、ネット世界では「ない」のと同じこと。

ネットで検索に引っかかるために様々な対策がありますが、基本はたくさん記事を書いて認知度を上げ、さらにたくさん書くことでネットに特化した文章力を身につけること。

そして私のように… 若くて写真写りが良い可愛い女の子ではなく、若くて色白なイケメン男子でもなく、ファッションにも疎く、グルメ道を極める財力も無く、芸能人な友人もいなく、、、 ただの中年男子な人は、地道に量を増やすしか方法がないのです。

だったら、それを地味に実行すべし

6年分のブログが見れなくなってしまったことを悲観するよりも、じゃぁ同じだけのものを作り直せば良いんでしょ。という発想ですね。

音楽屋だった自分も、自衛官をやってた制服男子な自分も、選挙に邁進していた自分も、深夜トラックで食いつないでいた自分も、便利屋を立ち上げた自分も、、、これからの新しい自分への通過点なのです。

どん底に落ちてもまたすぐに這い上がってくる復活力が、宮崎家のDNAなのさ。< 「死ぬ以外はすべてすり傷 (みやざき語録)」

 
ちなみに、10行ブログのアイデアは、こちらのブログ師匠から頂きました。

「10行以上書いてはいけない」ルールをブログに課してみる [ブログ] | No Second Life

 
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マカロン風キーホルダー作ってみた

男子の手芸は実用主義

 
忘れ物の多さは人一倍です。

自宅を出かけても、かなりの確率で数分後に忘れ物を取りに戻ります。

財布を忘れて買い物へ行き、レジで慌てる。

仕事に出かけたのに、肝心の道具を忘れて取りに帰る。

すごく慌てるのが、仕事へ行く直前に軽トラックの鍵がどこにあるか解らなくなってしまうこと。

なので、いざというときでも見つけやすくするために、マカロン風キーホルダーを付けてみました。

これ、PTA女子と一緒に手芸教室で作ったもの(笑) <男子作品はシンプルで実用的なのです

大きめのボタンに布地をかぶせて作った二つを、グルーガンで貼り合わせたお手軽キーホルダー。

注意色で目につくイエローで作ってみました。<それでいて邪魔にならない大きさがグッド

このマカロン風キーホルダーにピンときたら、メッセージください。

 
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車の中が一番の練習場所

小さな習慣が結果を生み出す

 
やっぱり、音楽が人生の優先度1番です。

30年以上弾き続けてきたコントラバス弾き稼業を辞めてから、早3年が過ぎました。

まれにコントラバスを弾くこともありますが、今はコルネットがメインです。

ほとんど毎日、どこかでコルネットを練習しています。

今一番のお気に入り場所は、車の運転席(笑)

いつも助手席に楽器を置いていて、移動中のちょっとした時間に楽器を吹いています。

自宅にいても、仕事の合間の気晴らしに車の中で吹いています。

ラッパの音って、通行人とかほとんど気にもしていないみたい。たぶん…

夜だったら、そのまま車で民家のない雑木林とかに行って、車の中で吹いています。

何かの技術を会得するなら、とにかく簡単なやり方を習慣化することが一番です。

 
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心機一転、新しいブログを作りました

チャレンジ派人生は前進あるのみ

 
こんにちは!

6年間書き続けたブログが、あっという間に消えてしまいました。

WordPress3.3.1 → WordPress4.8.2 へと更新したとたん、まったく表示されなくなってしまったという衝撃。

ネット記事を見ながら修復しましたが、ブログ記事のデータベースがうまく連結しなくて、過去記事が表示されません。

重要な敗因は、ネット記事のバックアップを取っていなかったことです。 → これ重要!

まぁ… 仕方ないかぁ。。。

過去を悔やむよりも、将来へ向かって前進するのが、チャレンジ派人生です。

というわけで、また懲りずに心機一転、新しいブログを作りました。

過去の栄光も、黒歴史も、すべては忘却の彼方へ去ったことにして、、、

これから新しい「みやざき克彦」をプロデュースです。

 
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