クラシック音楽の基本は、とにかく音階、音階、音階…

 
ジャズのアドリブでは、いかに自分のフレーズをたくさん持っているかが大事だと聞きました。

アドリブを乱暴に説明してみると、いかに無意識のうちに、ある程度決められたコードの進行の中で、(考えなくても指が勝手に動く)自分のフレーズを組み上げるかという技になってきます。

基本的にアドリブの要素がないクラシック音楽では、とにかく音階、音階、音階… すべては音階が基本になります。

私の感覚からすれば、全調の音階(スケール)がいつでもどこでもサラッと演奏できるのは当たり前のこと。さらに分散和音(アルペジオ)も、その調でのコード進行(Ⅰ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅰ)ができるのが、さらに当然のこと。<ピアノで言うところの、ハノンを毎日やるのと同じです。

なぜこれほどに音階ができなければダメなのかというと、西洋音楽はすべて音階を基にして作られているからです。

すべては一定のテンポという拍動の中で、規則正しく音階の組み合わせが進行します。ちなみに、モーツァルトはまさに音階を音楽的に組み立てる天才でした。

すべての調の音階がサラッとなめらかに演奏することができれば、どんな曲でもある程度まで初見で演奏することができます。あとは、いかに正確に楽譜を読むことができるという問題だけですね。

私が高校生の時、コントラバスのレッスンで全調の音階エチュードを丸々3回、師匠の厳しいレッスンを2年もかけて鍛えられました。それでなんとか、演奏家になるためのスタートラインに立てた感じです。

もしも、将来は音楽家になりたいと考えている中高生吹奏楽部員さんがいたら、迷わずに今すぐに吹奏楽部を退部して、毎日死ぬほど音階練習をしてください(笑) <これ、かなりマジな話!

クラシック音楽の演奏家がとんでもなく凄いことを普通にできるのは、そうした膨大な時間を費やして訓練をしてきたからです。ほんとに手間と時間のかかる贅沢な音楽ですよね。

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

丁寧な言葉を使ったほうが良い理由

あなたの話す言葉は相手に通じていますか?

 
小学生や中学生だったら、まぁ大目に見ることもできるのですが、さすがに大人では残念なことです…

丁寧な言葉とは、標準語(方言)とか敬語とか、そういうものではありません。あくまで相手に伝わる言葉という意味です。と言うのは、私が電話で便利屋の依頼を受けるとき、ホントに理解ができない言葉を使う方が時々いるのです。

多くの場合、私が一つ一つ、これはこういうことですか?と聞き直しているうちに、「もういい!」と言って電話を切ってしまいます。

私は真夜中に知らない場所へ駆けつけるわけですから、あやふやな情報で出動するわけにはいきません。まして、深夜の住宅地に車で入り込むわけですから、いたしかたないのです。

これは気の合う友達同士でも言える事ですが、丁寧な言葉で会話をしていれば、お互いにコミュニケーション不足のトラブルになることなく過ごすことができます。特に金銭や物の貸し借りでは、よほど注意して丁寧な言葉で確認するのがベストです。

仲間同士で何かの決め事やイベントなどのミーティングをしている時でも、丁寧な言葉を使わないと内容の深堀ができません。お互い同士に共通のボキャブラリーが少なくなるからです。

では、どうすれば相手に丁寧な言葉を使ってもらえるのか? 一番簡単な方法は、自分が丁寧な言葉で話すことです。それでダメなら、この人とは会話が成立しにくいと用心して会話したほうがベターでしょうね。

先日、ある方から失礼を詫びる言葉をかけられたとき、「大丈夫ですよ、気にしないでください」と言ってしまいました。後になって… あぁ「お気になさらないでくださいね」と優しく言えば良かったと後悔した次第です。

普段から相手を思いやるような丁寧な言葉使いに気をつけないといけないなと、反省しました。言葉は奥が深いです。

 
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3年ぶりのサントリーホールで想いを再び

音楽は元気エネルギーを伝える

 
今夜(11/6)、3年ぶりにサントリーホールへコンサートに出かけました。

半年前の発売初日に購入した、カティア・ブニアティシヴィリのピアノ・コンサートです。

私が音楽稼業に終止符をつけたのが、3年前の11月5日。その後の選挙〜落選を経て、どん底の無一文な時期に100個の夢を書き出しました。

その中の一つが、「サントリーホールでコンサートを聴くこと」。今夜、その夢の一つを叶えたことになります。

そんな大した夢ではありませんが、こうしてサントリーS席の中でも私評価で最高の席(2階RB1列14番)で聴くことができました。

まだまだ不安定な生活ですが、やっとここまで来たなぁという心境です。

こうして最高のステージで世界のトップ音楽家を聴けて、最高の元気をいただきました。

音楽が他の芸術と違うのは、目に見えるカタチに残らないことです。だからこそ、その音符が通り過ぎる一瞬に、聴く人の心に大きなエネルギーを伝えます。

音楽人の端くれであった私は、東日本大震災の被災地で、人の心に音楽のような元気エレルギーを伝えたいと決意し、政治の道を志しました。

今夜のコンサートを聴いて、その想いを再確認しました。やはり、音楽の持つ力は偉大です!

 
じゃあ、またね〜

写真写りを良くしたい人へ

写真では他人になりきることもできる

 
集合写真を見ると、どうしても自分の写真写りが悪すぎるとお嘆きの方へ…

普通に人と接していると表情が自然体なのに、写真だと無表情で緊張したぎこちない顔になってしまうことはよくあります。

一つの理由は、カメラのシャッターを押す人が緊張していること。カメラマンの緊張がそのまま撮られる人に伝染してしまいます。

もう一つは、撮られる側が緊張してうつろな状態で撮られていること。まるで不審者を見つめるがごとくカメラのレンズを凝視してしまいます。

その両者に共通する問題は、撮る人撮られる人の間にコミュニケーションがあるかどうかです。つまり、カメラに対してではなく、撮る人と撮られる人の間にコミュニケーションが存在してることが肝心です。

例えば、私が写真を撮るときも撮られるときも、必ず会話をしながらすすめます。会話をしながらだと、カメラに対して緊張しなくなります。

画面右(もしくは最下部)のプロフィール写真も、カメラマンと会話をしながら撮られた写真です。

もちょっとレベルを上げると、他人になりきってイメージを変えるという方法もあります。男性が女装して女性に見せることもできますね。

いつもの素の自分ではなく、自分が見せたい姿をイメージし相手と接することで、外見に現れるオーラが変わってきます。

どうせなら、恥ずかしくなる次元を超えるくらい、有り得ない他人をイメージして撮られた方が、上手くいくかもしれませんよ(笑)

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

ブログはスマホで読まれています

コンテンツの8割方はスマホで利用されています

 
ブログを書いている人の多くは、自分と同じ環境でそのブログが読まれているとイメージしがちです。

ところが、ブログなどのネット記事は、8割方がスマホ・タブレットで読まれています。パソコンで読む人は2割程度。

逆にブログを書いている方は、パソコンで書いている人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。<日記ブログだと、スマホのアプリで書いてる人の方が多いかな?

となると、ブログが実際にどんな風にレイアウトされてスマホ画面で見えるのかは、たえず意識しておくことが大切です。

ひらがなと漢字の使い分けや、文章のレイアウト感も、ブログを更新する前に一度は、スマホ画面で目を通しておく方が良いですね。

実際にスマホで表示して見るのも良いのですが、パソコンのブラウザでもスマホ画面のプレビューを簡単に確認できる方法があります。

例えば、私が使っているブラウザGoogleChrome(Windows版なら)だと、F12キーでデペロッパーツールが起動し、F5キーで再読込すればスマホ画面が表示されます。

Mac版であれば、Option+Control+”i”でデペロッパーツールが起動し、Control+”r”で再読込すればスマホ画面が表示されます。

パソコンでネットを利用している人は、これから先も減少の一途でしょう。ネット通販も、ニュースも、天気予報も、占いも、ゲームも、動画も、電子書籍、地図も、多くのコンテンツはスマホのアプリで利用されています。

未だにスマホが苦手だという方は、こうした無料で入手できる膨大な情報から閉ざされているという、情報格差にさらされているということです。

 
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音楽のビート感とはサーフィンで波に乗っている感覚

 
音楽でもっとも大切なものは、ビート感です!

もちろん、正確なリズムとか、正確な音程とか、正確なハーモニーとか、、、 それらがあれば、人に感心してもらます。ですが、それだけでは人に聴かせる音楽にはなり得ません。

ビート感とは、人の心に直接に働きかける催眠術のような効果があります。人が音楽を聴いて感動する一番の要素は、ビート感と言っても過言ではありません。

誤解を承知で解りやすく例えると、ゲーム「太鼓の達人」で音楽に合わせて太鼓を叩くあの感覚がビート感に近いものがあります。

テンポに合わせて音楽が進んでいくのではなく、音楽の流れに乗って不安定な感覚をスレスレで維持し続けるようなもの。

曲の頭から終わりに向かって自分の目線が移動しながら音符を演奏するのではなく、自分の目線はその場に動かず音符の方がドンドン前からやってくる感覚です。

前から次々とやってくる音符の波にサーフィンのように乗っている感覚。これがまさにビート感の真髄ではないでしょか。<まるで太鼓の達人でしょ(笑)

曲の最後、音楽が終止したときの安堵感、達成感、感動、興奮はただならぬものがあります。

音楽は時間の芸術です。時間は過去から未来への動くのではなく、未来から時間が降り注いで過去へと時間が落ちていくのが本当の時間感覚。

人の心に訴えかけない音楽は「時間の芸術」ではありません。ビート感こそが音楽を時間の芸術にする重要な要素なのです。

 
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人生のメンターを探す前に、まずは必死に生きてみる!

まずは必死に生きてみる

 
今までに、自分の一生を左右するような人(メンター、師匠)との出会いがありましたか?

自分の今までを振り返ってみると、人生の転換期では必ず、必要な時に、必要な人が、必ず目の前にあらわれました

いわゆる、「人生のターニングポイントに現れるキーパーソン」です。しかも、必要な時に、必ずどこかから現れます。

ただし、そういう人が現れる時には同じような条件が必要です。それは、必死に生きていることです。

必死というのは、常識外れ的な、他人がぜったいやらないようなことをして、周囲の人がおもわず応援したくなるような生き方です。

最初は、いろんなノウハウやマインドをアドバイスしてくれる人が出てきますが、そうした人はまだ人生を変えるほどのメンターではありません。

そうした応援者たちが口コミで話を通してくれることで、次に思いもしなかったような雲の上の存在な人が、ある時、絶好のタイミングで現れてきます。

時によって、それは人ではなく書籍というカタチで、歴史上の偉人やまったく住む世界が違う人だったりもします。でも、その存在は自分にとってかけがえのないメンターとなります。

ひょっとしたら、多くの人がそういった人生を変えるような存在の人に出会うために、一生懸命に勉強をして良い環境(学校や会社)へ入ることが大切だと思っているかも知れません。

私の経験上で言えるのは、人との出会いは環境ではありません。その人に必然的に出会えるよう、必死に生きることです

 
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楽器が上達しない人に共通するパターン

正しい方法をそのままやればOK

 
経験上、これはどのジャンルにも当てはまるパターンだと思います。

本来、楽器の演奏というのはとても合理的に出来ていて、正しい方法で練習すればちゃんと上達できるように出来ています。

これほど情報が氾濫している時代ですから、ちょっとその気になって調べれば、YouTubeなどでも正しい方法はすぐに調べられます。また、そういう書籍もたくさん出版されています。

ほんとに単純なことなのですが、こうすれば楽器が上手くなるという情報をちゃんと実行してみれば、かなりの程度まで楽器は上手くなります。<これホント

だけど、多くの人はそれをやりません。答えが解っているのにやりません。もしくは、創意工夫をやりすぎて、かえって正しい方法から遠ざかってしまいます。

私がよく学生に言っているのは、『朝練 ○○○』シリーズの教則本を鏡の前で練習するということ。

でもホントにそれをやる人は、まぁ100人に一人いるかどうかですね。<鏡の前でやると自分を客観的に見れます

逆に言うと、楽器というのは100人に一人くらいしかスンナリと上達しないものなのかもしれません。

どんなジャンルでも、成功者のマインド(思考法)とノウハウをそのままパクってしまえば、それなりに成功者の入口へ近づくことができます。

問題は、それをホントにやるかどうかという話なんですね。上達してくれば、良い指導者やメンターとの出会いが向こうからやってきます。

 
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