人前であがらずに話せる方法

 
私はわりと人前であがらずに話をすることができます。それも人数が多ければ多いほど、逆に頭がクリアに冴えてきます。

とは言っても、自分でそう感じているだけで、実際にはどんな風に見えているかは聴く人それぞれに異なることでしょう。

特に、十分な準備もなく即興でスピーチしたり、受け狙いの話をした時などは、私自身もどうかなと思うことが多々あります。

遅くともスピーチの数日前までに原稿を用意し、直前まで何度も推敲している時ほど、緊張もせずに話すことができます。

簡単に言ってしまえば、事前に周到な準備をし、さらにリハーサルをして練習を重ねたときほど、人前であがらずに、しかも頭がクリアな状態で話すことができます。

ところが、問題はこの事前の準備です。スピーチ原稿を書くとなると、大抵の人は過去のスピーチ原稿をテンプレートにして書こうとします。

最初に時候の挨拶から始まり、集まってくださった方への感謝の言葉、そして当たり障りのない文章。要するに、借り物の文章パーツを集めて組み合わせるという方法です。

こうして作った文章だと、それを一字一句間違えのないように読むことに緊張してしまい、やはり人前ではあがってしまいます。

そうではなく自分で作り練りに練った文章だと、話す内容に自信があるおかげで、どんなに緊張しても頭脳はクリアなまま話すことができるのです。

つまり、人前であがらずに話すことができるようになるには、これでもかというほど周到な準備をすることがもっとも効果的なのです。

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

小さな情報発信を続けて行動体質の脳へ

ブログはチャンスを掴むツール

 
いつもせっせとブログを書いています。だから何?と思われようと、せっせと書いています。

ブログを書いても、そんな世界中の人が読んでくれるわけでもないのに… と思う方もいらっしゃるでしょう(苦笑)

実は、こうして小さな情報発信を続けていると、計り知れないほど大きなメリットがあります。

そのきっかけは、ブログを書く(アウトプットする)ために、毎日たくさんの情報をインプットするようになることです。

ただ単にニュースを見て「へぇ〜」っと思うだけでなく、それについてブログにかけるレベルまで深く考えるクセがついてきます。

車を運転している時とか、ジョギングしている時とか、それらのニュースについていろんなことを考えます。そして、ボイスレコーダーにその考えの断片をせっせと録音しています。

何か違和感を感じる出来事があったときも、単に「そりゃダメだわ」と反発的に考えるのではなく、「これって何なのだろう? どういう理由があるのだろう? どうすれば変わるのだろう?」など、ブログのネタになるレベルまで深堀して考える習慣がつきます。

こうしてブログのような小さな情報発信を続けることで、脳が行動体質になっていくし、いろんな視点で世の中を見れるようになります。

人生を変えるような新しいチャンスは、常にそこいら中に漂っています。それを自らが行動してチャンスを掴むかどうかというだけのこと。また、いろんな視点で見ることで、かくれたチャンスも見つけられるようになります。

そのためには、脳が行動体質に変わっていないといけないわけです。ブログはなにげに人生を変えるツールなのです。

 
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勉強よりも大切な即断即決力

どんなノウハウも最後は決断力が勝負

 
学生時代にどんなに勉強が出来ようと、どんなに有利な学歴や資格も持っていようと、どんなに自己研鑽しようと、最後の最後で必要なのは即断即決力です。

与えられた知識や情報の多い少ないと、即断即決できるかどうかに関係はありません。意外かも知れませんが、情報が多ければ多いほど逆に即決はできなくなります。

例えば、いろんな種類があるコンビニのパン、何種類もあるジュースの自動販売機、種類が豊富なカップラーメン、どれも即断即決で決められる人は少数派です。

なぜなら、情報や知識が多くなるほど、決断するのではなく「選択」をするからです。選択はただの条件反射です。

日頃から選択することに慣れてしまうと、死ぬか生きるかの重要な二者択一でさえ自分で選ぶことができなくなります。つまり、多数の選択に従ってしまうわけです。

成功哲学のロングセラー『巨富を築く13の条件』を著したナポレオン・ヒルは、世界の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーから後の成功に繋がる仕事を依頼されたとき、まったくの悪条件ながら29秒でYESの決断をしました。その時、カーネギーの返答タイムリミットは60秒だったそうです。

こうした人生を左右する決断をするとき、それが可能かどうかという根拠や情報はほとんど無いに等しいのです。そもそも、選択できるだけの情報はほとんどありません。

私自身も、それまでの自衛隊生活からいきなり県議会議員選挙に立候補するかどうかを決断したとき、ほとんど即断即決しました。その時に考えたのは、可能か不可能かではなく、自ら「やる」か「やらない」かという決断だけでした。

もしも知識や資格でお金を稼げるのなら、大学教授や資格を指導する人々はみんな高収入を得ることができるはず。しかし現実は、どんなに勉強をしてもそれが高収入に直結するという保証はなにもありません。

勉強ができることは単なる特技です。その特技を活かすためには、チャンスが訪れたときにすぐに即断即決ができる力が必要です。そして想像を絶するような大災害や事件に遭遇した時も、即断即決で安全な場所に逃げることが最も重要な能力なのです。

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

人はそれぞれ聞こえている音楽が違う

感覚で聴くか、形式の中での解釈を味わうか

 
今夜は地元の公民館にて、ベンルリン・フィルのメンバーによるピアノ・トリオのコンサートを聴いてきました。

普段、都内のコンサートホールで聴くコンサートと違い、地方(埼玉県)の公民館ではいろんな気づきがあります。

それは、日頃クラシック音楽に親しんでいない方々は、音楽に対する反応がまったく異なるということ。どちらかというと、音楽を感情という感覚を通して聴いています。

つまり、解りやすいメロディーや感情的な盛り上がりを感覚的に聴き、心が躍るように音楽を味わっているのだと思います。

え? と思うかもしれませんが、私は音楽を感覚で聴いていません。あくまでクラシック音楽を構成する形式の枠組みの中で、どんな風に音楽を表現しているかを聴いています。

ですから、そんな解釈表現ができるのかとか驚きの衝撃に遭遇した時に、熱狂的にブラボー!と興奮します。そうでもないときは、単純に素晴らしい音楽を聴かせてくださったことに感謝しながら聴いています。

これはもう明らかに、脳の音楽伝達神経の仕組みが違うのだと思います。まったく聞こえている音楽世界が異なるのです。

前者の方々は、楽章の間でも惜しみなく拍手をします。音楽がそういう風に聞こえているのだから拍手して当然なわけです。

後者だと、曲全体の形式という枠組みが脳内に出来上がっているので、曲間にはどうやっても拍手ができません。脳が不自然だと拒絶してしまうのです。

どちらが良いとか悪いとかという話ではありません。まったく聞こえ方が違うのだから、これはもうそういうものだと思うしかないのです。カラオケさえも感覚で楽しむことができないのですから…

 
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考える前にまず動いてみる

考えると足が出せない

 
何か新しいことを始めようとしたとき、まず最初になにから始めますか?

私は考える前に、とにかく何でもいいから行動をしてみます。出来るか出来ないかは関係なく、まずは動いてみます。

そうすると、自分が行動するという前提で物事を考えることができるようになります。

もしも最初に考える人なら、実際の行動にそくした考えができません。つまり、机上の空論です。

例えばジョギングを始めようとするなら、とにかく今ある靴とジャージで近所を走ってみます。

すると、ジョギングするにはシューズやウェアよりも、時間を計れるスポーツウォッチが欲しいと気づきます。次に、地図をみながらどこをどう走るかというコース選びをするようになります。ポイントは行動の仕方ですね。

そのうちに、もっと走りやすい靴が良いとか、素敵なウェアを着て走りたいと思うようになるでしょう。

最初に、シューズやウェアを揃えることから始めると、肝心のどのコースをどんな風(時間)に走るかという根本的なことが抜けてしまうのです。

一番最悪なのが、最初にジョギング雑誌などで知識を仕入れてしまうこと。知識で頭が重たくなると、人は行動できなくなってしまいます。

自分でやってみて実感を得てから、必要に応じてノウハウを仕入れる。こんな自然なことに気が付かない人は要注意です。

 
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自分の負な感情と向き合うには

頑張っても報われない人生をどう受け入れるか

 
私は昔からいつも「2番手」という評価でした。自分では一生懸命に頑張ったつもりなのに、なぜかいつも2番手が限界でした。

若い頃はホントにそれが悔しくて、頑張った自分を責めることができず、つい1番手になった人へ負の感情を持ったことも日常茶飯事でした。

そして、そんな自分がまた嫌になり、自己嫌悪に陥るというネガティブな悪循環に苛まれたものです。

今ならそういう負の感情を持つこと対して、「まぁ、そいういう時もあるし、仕方ないわなぁ…」とかなり緩い感覚です。自分に厳しいとか甘いとか、そういう自分を評価することは止めました。

そもそも、感情というものはホルモンの作用を受けた脳の現象なのであって、自分の性格とか能力とかそういうものではありません。結果はあきらかなのだから、単に相手が自分より凄かったのです。

あえて言えば、負の感情は風邪をひいたような軽い病気みたいなものです。ちゃんと感情の体力があれば、ほっておいても勝手に自己治癒するレベルの話。あえて押さえ込むようなものではありません。

だから、たとえ自分が他人に対して負の感情を抱いたとしても、それを人ごとみたいに客観視できさえすれば、すぐにポジティブに前向きな姿勢に変化させることができます。

例えば、一生懸命に頑張って努力した結果が伴わず落ち込んだとしても、ちゃんと自分の感情を客観視できていれば、それをどう改善や軌道修正していけば良いかという考えを持つことができます。

もしくは、前向きなことを考えるためにジョギングやウォーキングをして、脳内感情を強制的にリセットするという荒技も有効です。ジョギングの良い点は、つねに前を向いて走る動作が前向きな気持ちを起こさせることです。

自分の負の感情と向き合うには、今の自分がどんな状態にあるかを客観視するのが最善の方法。そして、まずは自分の負の感情に気づくことからですね。

 
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リズムの後打ちって、ホントは前打ちなんです

後打ちは、次の拍の前打ちになる

 
マーチやポップスのリズムによくある、拍の後打ちについての話です。

ブンチャ、ブンチャ、ブンチャ… というリズムの「ブン」が頭打ちで、「チャ」が後打ちです。この後打ちの軽快感が、リズムに躍動感を与える重要な役割を担っています。

とは言え、実のところこの「後打ち」という言葉にはちょっと勘違いしやすいニュアンスがあります。

詳しく言うと、後打ちは、次の拍の前打ちになるという忘れがちな感覚です。

軽快なリズムというのは、常に回転を続けている車輪のようなものだと考えてください。この車輪の地面に面するところが「頭打ち」、車輪が最も高い位置にくるところが「後打ち」です。

ブンチャ、ブンチャ、ブンチャ… となるリズムは、視点を変えると チャッブン、チャッブン、チャッブン… という具合です。

これを口に出して言うと、さらにリズムの躍動感の雰囲気をつかめると思います。

そう! この車輪の最も高い位置にある「後打ち(前打ち)」に強い意識が来るのが、軽快なリズムの秘密です。

音楽の世界では、これを「アフタービート」と言っています。ロックやジャズでは、こうしたアフタービートを大切にするとリズムの乗りがだんぜん良くなります。

すべての音楽は、このアフタービート感を大切にすると、とても躍動感のある演奏をすることができるのです。<これ、プロのさじ加減!

 
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NOと言える人生を歩みたい!

NOを言わなくても済む人生

 
働く人の多くが抱えるストレス。その大きな原因の1つは、NOと言えないこと。そりゃサラリーマンは言えませんよね(苦笑)

例えパートやアルバイトであっても、他の人に気をつかってNOと言えないことは多々あるでしょう。

専業主婦であっても、定年後の人であっても、いろんな近所や地域の繋がりの中でNOと言えないことが多々あります。

今、基本的に私は「NOと言える人生」を過ごしています。自分でいうのも何ですが、人間関係のストレスはほとんどありません。

それは簡単なことで、自分のマインドを変えてしまえば良いだけのことなんです。<これができるくらいだから、やはり自由人なのかもしれませんね。

つまり、人からお願いされたことは断らないというマインドになれば良いんです。もちろん、物理的・時間的に出来ないことは速攻でNOと言いますよ(笑)

逆に、人からお願いされるというのは、自分で気がついていない「宮崎さんならできるだろう」というジャンルを見つけてもらっていることなんですね。

人の可能性というのは、その人が置かれた環境や場によって無限に拡がっていきます。新たなコミュニティーに入ってしまうと、今までの自分のキャラとは違うことを平気で出来たりしますよね。

そういうことを日常的に受け入れるマインドになっていれば、人間関係のストレスで悩むことも激減していきます。それは、人間関係そのものが、とても流動性のあるものだと気がつくからです。

多くの人が、自分の思い込みで自分の可能性を閉ざしています。思い切って「NO」という人生、いや「NO」を言わなくても済む人生を歩くと、ほんとに楽チンに生きることができますよ。

 
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