音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で決まる?

…人々の聞く音楽を分析した結果、10代の時聞いた音楽が、その後の音楽の好みに最も大きな影響を与えることが判明した。(中略)
…平均すると、男性の最も好きな曲は、14歳の時にリリースされた曲であることが多いそうだ。(中略) 女性の場合は…平均13歳の時にリリースされた曲が最も好きな音楽になるという。
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている – FNMNL (フェノメナル)

 
な、なんと、まさしく思春期に聴いていた音楽が、今でも私の心に刺さるソウルミュージックです。

「大都会」 クリスタルキング
「異邦人」 久保田早紀
「昴-すばる-」 谷村新司

カラオケが苦手な私も、このリクエストであれば小指を立ててマイクを握らせていただきます!

 
クラシック音楽を湯水のように聴いていたのも、同じく中学生の時でした。

ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」
ドボルザーク/交響曲第9番「新世界より」
マーラー/交響曲第2番「復活」

今でも、目玉を右上にずらして思い出せば、当時眺めていたスコアのページが脳裏に湧き上がってきます。

 
思春期に聴いていた音楽って、脳内にオキシトシンが大量異常放出された初恋のように、聴いているだけで切なく悩ましくトキめくもの。

今でもふとした弾みに、脳内無限ループ再生されて口ずさんでいたりします。三つ子の魂どころか、思春期の煩悩はいまだに続いていますね。

ひょっとしたら、人生の最後に聴きたい音楽も、「大都会」〜「異邦人」〜「昴-すばる-」かもしれません。私の葬儀で出棺時には、この3曲で行きましょう! もちろん、事前に私がカラオケで吹き込んでおきますので…

わ〜れは逝くぅ〜♪ さらば〜(※ すぅ〜ばぁ〜るぅ〜)よぉ〜♫
※ 必要に応じて、奥さんの名前になる可能性もあり

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

ベルリン・フィルの映像で音楽を知的に聴く面白さ

 

ベルリン・フィル デジタル・コンサートホール
ベルリン・フィル デジタル・コンサートホールを毎晩のように堪能しています。

 
これはベルリン・フィルのコンサートをネットで映像配信する有料サイトです。定期演奏会ライブを生中継でも見れるし、過去のシーズンごとにアーカイブ映像も見ることができます。そのコンサート数は無数…

日本でもNHKテレビでNHK交響楽団の定期演奏会を放送していますが、その映像クオリティには根本的な違いを感じます。それは、テレビ放映というマインドと、楽団独自で世界配信するというマインドの違いでしょうか。

一言で言えば、映像を見ながら音楽に没頭できる感覚が違います。専門的に言うと、映像カットのつなぎ方が違います。それは、スコア(すべての楽器が網羅された楽譜)をどれだけ深読みしているかという違いです。

もちろんテレビ放映でもその道のプロが手を入れているのでしょうが、テレビという性格上、自然と広く大衆向けにわかりやすさを主体とした映像カットになりがちです。

ビデオカメラをホールのどこに配置するかという制約もあるのでしょうが、根本的には音楽の何を伝えるかというマインドの違いを強く感じます。

例えば、弦楽合奏で音楽が深いクレッシェンドをしながら高みに登る時、ヴァイオリンが高音に達するその数小節前に意図的にコントラバスに映像が映り、その後にヴァイオリンが最高音に達する映像カットに映ることで、その音の高さにコントラストが強調されるという具合です。

アダージョのように長い弓使いの時には、その弓の動きが一連の映像カットのつなぎ方にも表現されていますし、それは指揮者の映像カットでも同じです。

とは言え、ベルリン・フィルの古い映像を見ると、その映像カットのつなぎ方は現在とは違いとても大雑把さが見えます。ここ10年ほどで、いかに音楽映像が進化しているかが手に取るように見て取れます。

音楽はもちろんライブで見るのが最高ですが、こうした最上の音楽映像を見ることで、音楽を深聴きできるのも素晴らしい体験です。どちらも捨てがたい…

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

好きなことを続けてお金が稼げるようになるには…

 
私は中学生の時に、将来はプロの音楽家になると決めていました。

とは言っても、幼少の頃から音楽一家に育ったなどという家柄は毛頭ありません。小学6年生の時にたまたま生のパイプオルガン演奏を聴き、中学で吹奏楽部へ入り音楽と出会った普通の人です。

そこで、持って生まれた「熱しやすく冷めやすい素質」がプラスに作用し、どんなに熱してのめり込みそしてすぐに飽きても、さらに深い奥底が見えてさらに熱するという音楽の終わりのない深みにはまってしまいました。

さすがに高校時代に3年間続けた早朝市場バイトの稼ぎだけではどうしようもなく、音大進学を諦めかけていた矢先に自衛隊音楽隊に拾ってもらいプロになれました。

後年、高校時代の後輩曰く「宮崎さんは鬼だった」という感じで、人生のすべてが音楽のためにあるという一点集中のすえになんとか音楽で食べていけるようになった感じです。

まぁその後は「熱しやすく冷めやすい素質」を上手くコントロールしつつ、「好きなことを楽しみながら延々と続ける性格」にシフトして現在にいたります。なんでも好きになってやるものだから、他人からは「猛烈な馬力で走り抜ける」ように見えるみたいです。本人は楽しんでやってるんですけどね。

「好きなことを諦めずに努力して続けていれば、いつかはなんとか食えるようになる」なんて空々しい根性論は言いませんが、「好きなことを楽しみながら続けていれば、そのうちにお金を稼げるようになる」というのは本当のことです。

ただし、普通に続けているだけではダメです。人がやらないようなことを楽しみながらやることが大切。他にライバルがいないジャンルで攻めないと、それでお金が稼げるようにはなりません。

他に前例がない不安とリスクを乗り越えなければならないのですから、好きで楽しくてしょうがないというマインドで前に進まないと、とてもじゃないけど心が持ちません。やってみないことにはどうなるかは解りませんし、何度も失敗して初めて気がつくこともたくさんあります。

一番の秘訣は、いつも笑顔を作って自分は楽しんでいると自分自身を騙してしまうこと。すると、ほんとに楽しくなります。楽しければ、どんな時でも続けることができます。

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

常に時代の最先端を走るクラシック音楽(第九編)

 
クラシック音楽が伝統的な古い音楽だと思ったら、それは大きな勘違い。クラシック音楽ほど、その時代の人々の生き様をありありと映し出している音楽はありません。

例えば、世界的オーケストラのベルリン・フィルが演奏するベートーヴェンの交響曲を聴くと、その違いが良く解ります。それぞれの時代の指揮者が振った音楽。フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルと、そのベートーヴェン像が全くことなる音楽と言っても良いほど違います。

崇高な精神性のフルトヴェングラー、究極の音楽美を追い求めたカラヤン、理知的な高みを目指すアバド、古楽への回帰で作品の正当性を追求したラトル。そのどれもが全く異なるベートーヴェンの交響曲を表現しました。

そして、それらはその時代が求めた音楽でもあったわけです。「歴史は歴史家がつくるもの」という考えのように、その時代の人々がどのように歴史(クラシック音楽)を解釈したかで、表現された音楽は大きく違ってきます。

逆に、その時代特有の思想を背景にしたロックやジャズのような音楽こそ、まだ歴史がないだけに新しい解釈が生まれにくいという事情があります。

2017年年末にいくつかの第九(音源)を聴きましたが、やはり最近の演奏はどれも新鮮な解釈で新しい音楽に生まれ変わっていることを実感しました。

それはベートーヴェンだけでなく、他のクラシック音楽作曲家のすべてに当てはまることです。今あらためて聴き直してみると、私が若い頃(30年前)に聴いていた音源は、どれも古い時代のムードを色濃く出した演奏に思えてきます。

こうした音楽の違いを感じ取るには、近代史や現代史、そして音楽界でのトレンドなどを知ることも大切です。どれだけ読書をしてイメージ力を増やしたかで、聞こえてくる音楽は変わってきます。

時代の様相を演奏に色濃く映し出すと言う意味で、クラシック音楽はまさに時代の最先端を走っている音楽と言えます。多様性の時代と言われる現代ですが、それは現代からの多様な視点で音楽を再構築するという、あくまで現在の視点なわけです。

と言うわけで、それぞれの時代ごとの演奏を定点観測する音源を集めてみました。さて、どんな違いが感じられるでしょうか?

 
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 1942年

 
カラヤン指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 1977年

 
アバド指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 2000年

 
ラトル指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章(抜粋) 2015年

 
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【音楽】音階を美しく聴かせる秘訣

音階にはドラマがある

 
音階「ドレミファソラシド」を美しく聴かせるには、それぞれの音に意味をもたせれば良いんです。簡単な答えでしょ(笑)

多くの人は気がついていませんが、「ド」 → 「レ」は、とても遠い距離感です。普通に歌うと、その遠い距離感覚が解らず、「レ」は低く曇った音になってしまいます。「レ」の音は明るく上ずった感じで響かせる。これが一つ目の秘訣です。

「レ」 → 「ミ」は、簡単。思い切って「レ」を明るく始めたその雰囲気で続ければ「ミ」になります。

「ミ」 → 「ファ」は、半音です。かと言って、不必要に気にすることはありません。むしろ、暖かく響くように「ファ」を歌います。

「ファ」 → 「ソ」は、本のページをめくる感じ。いやそれより、最後のページをめくって裏表紙にし、さらに本を上下に逆さまにする感じ。50歳以上の人だと、レコードをA面からB面にひっくり返すと言えばピンときますよね。

つまり、「ドレミファ」と「ソラシド」は同じなんです。ハ長調で「ドレミファ」とやって、レコードをB面に裏返すと、今度はト長調の「ドレミファ」になるって感じ。そういう表と裏が変わる感じが、「ファ」 → 「ソ」です。この裏返す感覚って、音階ではとても大切です。

「ソ」 → 「ラ」は、やっぱり距離感が遠いです。だって裏返した「ド」 → 「レ」と同じですから。しかも、「レ」に行くときは明るく上ずった感じでしたが、「ラ」に行くときは意外感が欲しいです。え? やっぱり「ラ」に行くんだという風に、ちょっと顔の向き角度を変えるようなイメージ。

「ラ」 → 「シ」は、掃除機で吸われるような勢いで上ります。まぁそんなに深く考えることは無いんですけど、あまり張り切らないのがコツです。「シ」はとても目立つ音なので、不必要に張り切る必要はありません。あくまで自然に…

「シ」 → 「ド」は、運命に引き寄せられる感覚に逆らわないこと。「シ」は別名:導音と言って、どうやっても「ド」に行かざるを得ない運命の音。だから、「ド」に辿り着いた時は、とても安心した安らぎさえ感じるのです。とても幸せに満ち足りたハッピーエンド。つまり最後の「ド」は、天国にいる気持ちですね。

そんな感じでそれぞれの音に意味を感じ、その逆らえないほど自然な音の流れを創造した神様に感謝しながら歌うのが、音階を美しく聴かせる一番の秘訣です。音階は、もっとも自然なメロディーであるべきなんですね。これ西洋音楽では当たり前の感覚です。

 
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人はそれぞれ聞こえている音楽が違う

感覚で聴くか、形式の中での解釈を味わうか

 
今夜は地元の公民館にて、ベンルリン・フィルのメンバーによるピアノ・トリオのコンサートを聴いてきました。

普段、都内のコンサートホールで聴くコンサートと違い、地方(埼玉県)の公民館ではいろんな気づきがあります。

それは、日頃クラシック音楽に親しんでいない方々は、音楽に対する反応がまったく異なるということ。どちらかというと、音楽を感情という感覚を通して聴いています。

つまり、解りやすいメロディーや感情的な盛り上がりを感覚的に聴き、心が躍るように音楽を味わっているのだと思います。

え? と思うかもしれませんが、私は音楽を感覚で聴いていません。あくまでクラシック音楽を構成する形式の枠組みの中で、どんな風に音楽を表現しているかを聴いています。

ですから、そんな解釈表現ができるのかとか驚きの衝撃に遭遇した時に、熱狂的にブラボー!と興奮します。そうでもないときは、単純に素晴らしい音楽を聴かせてくださったことに感謝しながら聴いています。

これはもう明らかに、脳の音楽伝達神経の仕組みが違うのだと思います。まったく聞こえている音楽世界が異なるのです。

前者の方々は、楽章の間でも惜しみなく拍手をします。音楽がそういう風に聞こえているのだから拍手して当然なわけです。

後者だと、曲全体の形式という枠組みが脳内に出来上がっているので、曲間にはどうやっても拍手ができません。脳が不自然だと拒絶してしまうのです。

どちらが良いとか悪いとかという話ではありません。まったく聞こえ方が違うのだから、これはもうそういうものだと思うしかないのです。カラオケさえも感覚で楽しむことができないのですから…

 
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リズムの後打ちって、ホントは前打ちなんです

後打ちは、次の拍の前打ちになる

 
マーチやポップスのリズムによくある、拍の後打ちについての話です。

ブンチャ、ブンチャ、ブンチャ… というリズムの「ブン」が頭打ちで、「チャ」が後打ちです。この後打ちの軽快感が、リズムに躍動感を与える重要な役割を担っています。

とは言え、実のところこの「後打ち」という言葉にはちょっと勘違いしやすいニュアンスがあります。

詳しく言うと、後打ちは、次の拍の前打ちになるという忘れがちな感覚です。

軽快なリズムというのは、常に回転を続けている車輪のようなものだと考えてください。この車輪の地面に面するところが「頭打ち」、車輪が最も高い位置にくるところが「後打ち」です。

ブンチャ、ブンチャ、ブンチャ… となるリズムは、視点を変えると チャッブン、チャッブン、チャッブン… という具合です。

これを口に出して言うと、さらにリズムの躍動感の雰囲気をつかめると思います。

そう! この車輪の最も高い位置にある「後打ち(前打ち)」に強い意識が来るのが、軽快なリズムの秘密です。

音楽の世界では、これを「アフタービート」と言っています。ロックやジャズでは、こうしたアフタービートを大切にするとリズムの乗りがだんぜん良くなります。

すべての音楽は、このアフタービート感を大切にすると、とても躍動感のある演奏をすることができるのです。<これ、プロのさじ加減!

 
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クラシック音楽の基本は、とにかく音階、音階、音階…

 
ジャズのアドリブでは、いかに自分のフレーズをたくさん持っているかが大事だと聞きました。

アドリブを乱暴に説明してみると、いかに無意識のうちに、ある程度決められたコードの進行の中で、(考えなくても指が勝手に動く)自分のフレーズを組み上げるかという技になってきます。

基本的にアドリブの要素がないクラシック音楽では、とにかく音階、音階、音階… すべては音階が基本になります。

私の感覚からすれば、全調の音階(スケール)がいつでもどこでもサラッと演奏できるのは当たり前のこと。さらに分散和音(アルペジオ)も、その調でのコード進行(Ⅰ-Ⅳ-Ⅴ-Ⅰ)ができるのが、さらに当然のこと。<ピアノで言うところの、ハノンを毎日やるのと同じです。

なぜこれほどに音階ができなければダメなのかというと、西洋音楽はすべて音階を基にして作られているからです。

すべては一定のテンポという拍動の中で、規則正しく音階の組み合わせが進行します。ちなみに、モーツァルトはまさに音階を音楽的に組み立てる天才でした。

すべての調の音階がサラッとなめらかに演奏することができれば、どんな曲でもある程度まで初見で演奏することができます。あとは、いかに正確に楽譜を読むことができるという問題だけですね。

私が高校生の時、コントラバスのレッスンで全調の音階エチュードを丸々3回、師匠の厳しいレッスンを2年もかけて鍛えられました。それでなんとか、演奏家になるためのスタートラインに立てた感じです。

もしも、将来は音楽家になりたいと考えている中高生吹奏楽部員さんがいたら、迷わずに今すぐに吹奏楽部を退部して、毎日死ぬほど音階練習をしてください(笑) <これ、かなりマジな話!

クラシック音楽の演奏家がとんでもなく凄いことを普通にできるのは、そうした膨大な時間を費やして訓練をしてきたからです。ほんとに手間と時間のかかる贅沢な音楽ですよね。

 
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