PTAがらみで怒濤の4月…

 
次男が中学校を卒業しまして、今日、高校の入学式でした。

 
早朝、中学校吹奏楽部の朝練で、入学式での演奏リハーサル。今日の全精力を使い果たしました。

午前中、中学校の入学式に来賓出席し、祝辞で「入学式」 → 「入校式」と自衛隊風に読んでしまいました… 失敗。

午後、高校の入学式に出席し、その他大勢の保護者席の中で沈没し、うたた寝状態で記憶を失う… 失礼。

 
この4〜5月は、中学校PTAの総会やその準備、高校PTAの引き継ぎや総会、市PTA連合会の総会などで、毎週のように1〜2回は終日の集まりがあるという怒濤の季節です。

その間にも、便利屋の仕事をしながら、中学校吹奏楽部の外部コーチとして指導をしたり… いったい何が本業なのか不明ですね。

これで、ほんとに食っていけるのかが未知数ですが、まぁいつものようになんとかなるでしょう(笑)

 
普通にサラリーマンをやっていれば、こんな自由人過ぎることは難しいと思います。いや、自営業でも正直、大変です。

とはいえ、こういう経験は子供が学校へ行っている間しかできません。面倒になれば、自分でルールを変えてしまえば良いだけのこと。

学校に関われるのもチャンスがあればこその話。長い目で見ても、やらない方が損なのです。< この発想、わかるかなぁ…(苦笑)

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

騙される人のセリフ「そんなこと学校で習わなかった」

 
世の中には「騙す人」と「騙される人」がいると言われます。実際にはさらに「騙されない人」もいます。

 
学校で教えていることは正しいという盲目な思い込みは、お上の言うことは間違いがないと言う心理と同じでしょう。

でも、正解=正しいこと、という図式はまったくの嘘っぱち。正解とは誰かが意図的に決めたことだからです。

まずこうした前提で、なぜこれが正解とされているのかを疑うのが「騙されない人」です。

 
「そんなこと学校で習わなかった」というのは、学校では正しいことを教えていると思っているからこそ出る言葉です。

確かに習った時点では正しかったかもしれませんが、2〜3年もすれば世の中の定説は微妙に変わってきます。騙す人というのは、この微妙なズレをうまく利用し別な情報を与えて信じ込ませます。

家電屋の曰く、「今お使いのエアコンは10年前のものなので、最新機種に買い換えた方が消費電力が少なくてお得ですよ」というのがよくあるパターンです。

 
その結果、エアコンをすぐに新しく買い替えたとすれば、あなたは騙された人です。家電屋やテレビで言うことを信じたからですね。

騙されない人は、その情報を元にさまざまな情報を調べ、ホントに買い換えるべきかどうかを自分で納得して決めます。

日本製品は良いと信じるブランド信仰も、同じように騙されやすいパターンです。日本製品は、ただ単に日本人の好みに合わせて製品を作っているだけのこと。万人にとって良いものではありません。

 
「そんなこと学校で習わなかった」と言う人は、騙す側から見てお得意さまなのです。

 
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子どもにもわかるように、ひらがなで話す

 
今日は、日本で暮らす外国人を助けているふじみの国際交流センター・FICEC・理事長さんのお話(セミナー)を伺ってきました。

日本で生活している外国人の数は、おおよそ240万人。ここ埼玉県でも16万人の外国人が暮らしていて、44人に1人が外国人という時代です。

まだ日本語があまり話せない外国人とコミュニケーションをとるには、ひらがなで話すことが良いとのこと。

 
ここでハッと、数年前に『「ひらがな」で話す技術』を書かれた西任(にしと)暁子さんのセミナーで伺ったお話を思い出しました。

ここで言う「ひらがな」とは、漢字にしなくてもわかる言葉のことで、耳で聞いてすぐにわかる「丸い言葉」のことです。

例えば、「誰でも理解できるよう説明してください」 → 「子どもでもわかるように話してください」 という感じですね。

前者は漢字の意味がギュっと詰まって閉じた「四角い言葉」ですが、後者の「丸い言葉」は意味が開かれていてわかりやすい感じがします。

 
「話がわかりやすい」とは、相手のことを思いやりながら話すことですから、日本人同士でも気を付けたいことです。

特に、話していて自分が気持ちよくなっているときほど気を付けないといけません。自分が気持ちいいときほど、相手は我慢をしているからです。

同じ話を聞いても、人それぞれに思い浮かべる景色はバラバラです。だからこそ「ひらがなで話す」わかりやすさが必要なんですね。

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

いじめゼロを目指さない仕組みつくりを

 
まず大前提として、人は「いじめ」をやめることはできません。それは脳科学的に説明されています。


中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』2017年,小学館新書

 
人の感情とは、脳内物質によって引き起こされる現象です。その人の性格という資質もありますが、それが行動となって現れるのは、脳内物質がなせる技です。

愛情ホルモンのオキシトシンによって、愛情を深めたり仲間意識を深めると同時に、それが行きすぎて仲間に制裁を加えるいじめに繋がります。そして、仲間意識が深まるほど理性による制御が効かなくなってきます。

安心ホルモンであるセレトニンの不足によって、集団を守るために裏切り者を探す方向へ進みます。異質な人を排除するという仲間内での正義を守ることで、脳内麻薬のドーパミンが快楽をもたらします。

 
つまり、他者をいじめることによって自分が仲間内で認められるという正義の快楽が得られるわけです。とっても気持ちイイんです!

学校や職場という密室の中で仲間意識が高まるほどに、本来は快楽を押さえるはずの理性は大きく低下します。真面目な人たちほど危険です。

いじめゼロを目指すとは、仲間に認められるという快楽を押さえること。集団行動を身に付けることを目的とした学校のあり方を、真っ向から否定することに繋がります。

 
クラスが体育祭や合唱祭という目的に向かって団結しようとしているときほど、集団のルールに従いにくいと思われる(自己主張をしない)弱者をいじめるという結果になり、教師すらクラスの団結を優先するがために理性や弱者への共感力が弱まってきます。

「いじめゼロ」を目指すのではなく、「いじめ」はあるという前提で、自分が相手を攻撃すると損をするという仕組み作りが必要です。

いじめは人類が種を守るために必要なこと。この機能がないと、すぐに異分子に滅ぼされてしまいます。いじめゼロというのは、性欲ゼロとか食事ゼロとかと同じ意味合いなんですね。必要なのは、ゼロではなくコントロールすることです。

 
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学校のあいさつ運動で苦笑してしまう件

 
小学校でも中学校でも、はたまた高校でも、良い学校の基準は「あいさつ」とされています。

知らない学校へ行ったときに、生徒や児童が「こんにちは」を声をかけてきたら、あぁなんて素晴らしい学校なんだと感じちゃうわけです。

実際に「うちは挨拶がよくできている」という学校でアンケートを取ると、「あいさつができている」という生徒の自己評価が6割もあれば驚愕のラインです。

そもそも子どもが大人にあいさつをするというのは、ある意味でとても無理をしています。しかも、知らない人に挨拶をするというのは、強制でもされないとできるものじゃありません。

仮に、もしも子ども達が普通に街で知らない大人に「こんにちは」と挨拶するなら、それは防犯的には「知らない人に挨拶するのは止めなさい」となりますよね(苦笑)

挨拶というのは、自分と他人や地域という関係性の視点がないと、自然に口から出てくるものではありません。学校で子ども達が大人に挨拶するというのは、口悪く言えば駅前などの募金運動で「募金をお願いします」というのと同じ脳の使い方です。

つまり、生徒や児童が学校への帰属意識から、学校へ訪ねてくる他人へ「この学校は素晴らしいんですよ。」と表現している行為です。お店に入ると店員から「いらっしゃいませ、こんにちは」というのと同じですね。

挨拶ひとつで屁理屈を言うなとお叱りをうける話ですが、自然体で他人へ挨拶を交わすというレベルへ上がるには、この学校への帰属意識を外しても挨拶ができるかというマインドを育てることが必要です。つまり、大人がそういうマインドで挨拶する姿を見せ、子ども達に感化をしていかないとキビシイという話です。

学校の正門で、若い教員やPTAの保護者さんが「あいさつ運動」の旗を持ちながら挨拶をしている中に混じっている自分も、なんかこれ駅前の募金運動だよなと心の中で苦笑しています。

そもそも、「あいさつ」を運動と言っている時点で、これ昭和ですよね。

 
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