PTA改革の難しさ~人は自分の尺度でしか物事を見れないから

次年度から小学校のPTA会長になる予定。一応、総会で承認(拍手?)されないといけないので、今はまだ予定です。

で、今まで中学校の会長を2年間やったり、市P連の副会長を1年ほどやったので、PTAについてはあれこれと考えることがあります。

なので、いきなりPTAの改革に着手するつもりです。なぜなら…

もう時代的にPTAという組織は行き詰っているから。でも、そのことに誰も気が付いていないか、あえて見ないふりをしています。

最近の巷では、PTAは任意参加の社会教育団体であり、自動入会とか強制入会は認められないという論法が多く聞かれるようになりました。

まぁ確かにそうなんだけど、こういう考えが多く聞かれるようになった背景にはPTA役員選びでの様々なトラブルがあるわけです。

PTAという組織を次年度につなげるためには、必ずそれを引き継いでくれる新しい役員を選ばなければなりません。

でもそんな面倒なことは誰もやりたくない。でも無理強いしてでも誰かにやってもらわないと体裁が悪い。いや、たまに僕みたいにやることはやぶさかではないという奇特な人もいますけどね(苦笑)

僕みたいにPTAのことを勉強したり経験値でそんな面倒なことじゃないと知っている人にとっては、PTAは屁の河童と捉えるわけです。だって別に給料もらえるわけじゃないので適当でいいしね。

いや、そんなPTAなんて大それた… とか、自分の時間を取られるのは嫌とか、仕事をしていてそんなの無理とか、、、

僕なんて基本的に年中無休で元旦以外は休んでいないのに、それでもPTAは屁の河童なんだけどさ。

要するに、どちらの問題も根底にあるのは「人は自分の尺度でしか物事を見れない」というマインドの違いがあるわけです。

で、その尺度の違いからPTA改革を説明しようとしても、たぶん理解してもらえる人はごく少数しかいないと思われます。

さらに、その少数の人たちも今やっている事業を止めたり、新たに新規事業をしようとすると、自分が火の粉を被るのが嫌で反対するでしょうね。

日本人は世界的に見て特殊なほど不安を感じる人が多い国民性です。リスクのあることにはまず手を出そうとはしません。

例えば、平成の30年間に社会が同じような条件だったアメリカは給料が2倍になっているのに、なぜか日本は逆に減っています。

ITという新しい技術革新に対して、ほとんどの日本人は変化を恐れてNOと言ったのです。

全国中のPTAが未だに非生産的な理事会という無駄な会議を毎月のように行い、いまだにベルマークを集めたり、エコキャップを集めたり、資源回収をやったり、広報誌を印刷したり、自治体が開催する家庭教育学習に参加したり、外で遊んでいる子供がいないのに地域パトロールをしたり…

ホントに申し訳ないんだけど、こんな昭和的なことはもう止めませんか? でも止めない国民性なんですよね(苦笑)

それともう一つ「子供たちのため」という悪魔の呪文。

親が考える「子供のため」というのは、ほとんどの子供にとっては大きな迷惑です。それに、今の時代に親世代の常識は子供世代には全くの無価値。

今の子供たちはこれからの来る時代の価値観とは全くかけ離れた前提で教育を受けるという不毛な教育を受ける世代です。

そこに輪をかけて「子供たちのため」なんていう親の古い価値観を押し付けられるわけですから、日本の将来はホントに真っ暗。

というわけで、これから3ヵ月ほどかけて地域や学校に根回ししたり、どうやって伝えれば改革がソフトランディングできるかを考えなければいけません。

ちなみに、どんな改革をするつもりなのかは秘密です(笑) 私は基本的に人の意見を聞かない人なので、言っても無駄なことは言わないつもり。

たぶん、改革の顛末をkindle本で電子出版するでしょうから、そちらを購入して読んでください。あと、PTAコンサルティングとして改革のお手伝い業も思案中です.

せっかくの内容ですから、しっかりと世の中に広く還元しないとね。

こういうことをボランティアだからと言い訳する人は、これから先の新しい時代を生き抜く力が薄い人。誰かに価値があることは、ちゃんとビジネスとして成立させて世の中に広めるべきなんです。

さぁPTA改革はどんな風に進むでしょうか。こうご期待。

じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

1970年代、広島市内の小学生はどのように原爆のことを教えられたか?という体験談。

1970年代、小学3年生から6年生の夏まで、僕は広島市内の江波小学校に通っていました。

当時住んでいたのは、路面電車(広島電鉄)の江波車庫の近く。自転車で広島市内の至る所に出かけられるロケーションです。

で、当時を思い出してみると、広島市内に住んでいるからと言って、特に原爆の教育を受けていなかったんですよね。

もちろん昔の戦争(太平洋戦争)のことは知ってましたよ。なぜなら当時はまだ防空壕が残っていて、立ち入り禁止だったけど中に入って遊んでましたから。

それに街中には白い服を着た傷痍軍人の乞食がいましたしね。戦争の痕跡は生活の中にまだ普通に残っていた時代です。

で原爆のことですが、なんと小学校のすべての教室に漫画『はだしのゲン』が置いてあって、みんなその漫画を読んで原爆のことを知ったのでした。

なので、原爆という呼び名ではなく「ピカドン」です。

『はだしのゲン』の中で江波の練兵場で遺体を焼くシーンがあったのですが、なんと僕が住んでいたアパートはその練兵場の跡地でした。

もうピカドンが生活の一部ですよねw

あと、江波小学校は江波山に遮られてピカドンの熱風からまぬがれた貴重な場所でしたので、学校図書室には当時の写真入り医療記録が何冊も残っていて、僕はそれもよく見ていました。

よく修学旅行で広島の原爆記念館を見学したあとに気分が悪くなたっという話を聞きますが、僕はそれ以上のエグイ写真を日常的に見ていたので、なんであんな汚れたマネキンを飾った展示を見て気分が悪くなるのかを理解できませんでした。

そのお陰なのか、今でも腐乱ものはまったく平気です。便利屋でそういう仕事もしてましたしね。

広島市内で育った子供は、たぶん原爆についてそれほど重く捉えていないのではないかと思っています。いや、それは私の主観的な意見ですけどね。

あと僕が小学生の頃は、まだ原爆ドームの中に忍び込めたくらいです。ただのガレキしかありませんでしたけど。

原爆のことがあれこれと日本中の話題になってきたのは、平成に入ってからかもしれません。今じゃあのガレキが世界遺産ですから正直なところ驚きです。

もしも今、広島の原爆を学びたいを思うなら、迷わず『はだしのゲン』を読んでください。

当時も今のような普通の人々の生活があって、それがある瞬間に突然に原爆で無茶苦茶になり、でも生き残った人たちはその後も人生を歩んでいたという民衆の記録です。

原爆を知るには『はだしのゲン』以上のものはないと感じています。

それを考えると、当時の小学校教室すべてに『はだしのゲン』が全巻置いてあったのは、すごく的を得た教育だったのでしょうね。

じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

40、50代で再起する人のために伝えたい復活マインド。48歳で落選したら無一文は想定外の人生だった~その5 日雇いバイト「とにかくなんでもやる」

 →前回 その4 深夜トラック運転手「どんなときも終わらない仕事はない」

今回は日雇いバイトの話です。

サラリーマンや派遣社員の休日副業の定番として、日雇いバイトをやっている方も多いでしょう。

私も深夜トラック運転手の休日に日雇いバイトをやっていた時期がありました。

ネットのバイトサイトに登録しておけば、毎日のように日雇いバイトの斡旋メールが届きます。

仕事の内容にもよりますが、交通費別途支給で8,000〜10,000円くらいになります。

棚卸しなどの単純仕事は苦手だったけど、お店の売り子みたいな接客仕事はとても楽しかったです。

子供向け屋台で輪投げ屋をやった時は、凄い輪投げの猛者(お婆ちゃん)に感化され、輪投げの極意をマスターしましたw

日雇いバイトの利点は、仕事そのものがお気楽モード。 今まで30年間まじめ?に公務員生活をしていた私には、このマインドはとても新鮮でした。

会社は安定した生活を保証してくれます。その代わりに自分の貴重な人生を会社に差し出さなくてはいけません。

この両者の異なる世界観を知ったことはとても勉強になりました。

正社員という安定は、実はとんでもなく自身の身を削っていることなんだと。不安定というリスクをとるか、人生を削るというリスクを取るか、これは難しい選択です。

今まで公務員としての人生しか知らなかった自分にとって、日雇いバイトの経験は貴重な社会勉強になりました。

ただしそれはサラリーマン生活の表と裏を知っていたから解ったこと。日雇いバイトしか知らない人生は、それはそれで大変だし将来への希望も持ちにくいです。

とれだけ情報や知識があったとしても、異なる環境下で生きていくことは想像以上に戸惑います。

また、なんとなく場の雰囲気に流されて将来を考えない楽な方向へ向かいがち。

でもいつかは再び再起するぞという気持ちがあるなら、自分の行動にNG(やりたくないこと)を作らないこと。どんなことであっても目の前のチャンスを掴み取る貪欲さが必要です。

まして40代50代には人生の楽な選択肢がほとんどありません。チャンスは困難なことの中にしか潜んでいないのです。

今までとは異なる世界で新たなチャンスを掴むには、いったん考える前にとりあえず即行動するという習慣をつけるべき。

ルール5「とにかくなんでもやる

次回は音楽指導(プロボノ)の話です。

じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

40、50代で再起する人のために伝えたい復活マインド。48歳で落選したら無一文は想定外の人生だった~その4 深夜トラック運転手「どんなときも終わらない仕事はない」

 →前回 その3 PTA「無駄なことにチャンスがある」

今回は深夜トラック運転手の話です。

第2回目で書いた、新聞折込チラシを新聞販売店に配達する深夜トラック運転手に就職した件ですね。

それまで30年間ほど自衛官だったわけですから、48歳になり全く未知の民間会社で新しい仕事を始めたわけです。

トラック運転手というと単純に荷物を積んだトラックを運転すれば良いだけと思うかもしれません。

ところがそんな簡単な仕事では月に20万円も稼げません。それは深夜トラック運転手でも同じです。

私が勤めた新聞折込広告を新聞販売店へ配達する仕事とは、30〜50種類の異なるチラシを積んで深夜のうちに40〜50店へ配達する仕事です。

曜日によってチラシの量は違いますが、多いときは3〜4トン分のチラシ広告を積んでます。それはトラック荷台のチラシで自分の身長が埋まってしまうレベルの量ですね。

そのチラシを配達ルートと各店に降ろす伝票を考慮して、間違いなく降ろせるように並べて積まなければいけません。

そして、新聞販売店の店先で伝票を見ながらチラシの山の中から必要なものを抜き出して降ろしていきます。

チラシは2000枚ごとに梱包されてますので、例えば伝票に800枚とあれば2000枚の中から2/5だけ抜き出して紐でくくり降ろします。

そうして40〜50店舗を周ってチラシがすべてキレイにして無くなれば仕事は終了。各店舗ごとに異なる種類と異なる量を正確に配達するのは、かなりの特殊技能です。

仕事は完全歩合制ですが、仕事量をこなせると認められなければ仕事量(賃金)は増えません。私の場合は手取りで30~40万円/月くらいでした。

毎日15時に出勤し、3〜5時間かけてトラックにチラシを積載。その後、朝までかかって配達します。マジで終わらないときはお昼過ぎまでかかってしまったことも… もちろん徹夜のまま翌日の仕事に入ったこともありました。

積載するときにフォークリフトを使えることもありますが、基本的にはすべて数トン分を人力&手押しカートで行います。

もちろん腰を傷めないよう、全身(特に腹筋)を使って重たい紙チラシを運びます。

実はこの仕事をしているとき、微妙ながら腹筋が割れてました(笑) というか、お腹の無駄な脂肪が激減しました。

この話から得られた経験は、40、50代になってからいかに新しい仕事と向き合うかということ。

それまでに30年分の社会人経験があるものだから、どうしてもモノの考え方に自分なりのルールができてしまいます。40、50代ともなると、それが頭の固さになりがち。

でも稼げる仕事をするためには、どうしても普通の40、50代が敬遠するようなキツイ仕事をせざるを得ないでしょうね。

何を言われても謙虚に20代のごとく仕事をする。これが素直にできない人は再起は難しいかと。

そしてどんなに手際よく仕事が出来なくても、途中で諦めずにどうすれば出来るかを試行錯誤しながら必死にしがみつくしかありません。

よく世の中には楽にお金儲けができると豪語する方がいますが、そういう人はごく一部の限られた運の持ち主か、もしくはすごく優秀で頭の良い方です。

私は普通の高卒な凡人なので、とにかく諦めないことを信条にして新しい仕事に立ち向かってました。

そして仕事がうまくいかず朝になっても終わらないときは、いつもこの言葉を自分向けて口ずさんでました。

ルール4「どんなときも終わらない仕事はない」

次回は日雇いバイトの話です。

じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

未来があるから今がある。と考えてごらん!

未来は決まった運命ではなく無数の可能性だ。何も考えず頭を固くすれば可能性は狭まり、柔軟に考え行動すれば可能性は広がる。

過去に行動した、または行動しなかった結果が今だという考え方がある。でも僕はそうは思わない。

未来は無数の可能性があって、今の自分がどんな未来を目指すかで将来が変わってくる。すべては今どう行動するかだ。

大切なのは今の自分がどう行動するかであって、過去の行動の結果ではない。人生は常に一方通行だ。

子供の将来のためにと、習い事や旅行とか(親目線の)いろんな選択肢を与える人がいる。

僕は親自身が豊かな可能性を広げれば子供にとって良いローモデルになると考え、子供への選択肢はほとんど考えてない。

僕は今現在の自分か置かれた現状は、過去の結果ではなく将来への通過点だと思っている。もし人生にゴールがあるとすれば、それは僕が死んで数世代先のことだろう。

たった一つでいいから、次の世代、またその次の世代へと、誰かの記憶に残る(可能ならば影響を与えられる)生き方をしたい。

そのためにも、自分の家族には僕がどう我儘に生きているかを全力で見てもらいたい。僕が自分らしく生きれば、子どもたちも自分人生を生きるだろう。

…とは言うものの、子世代は難しいけど孫世代くらいには信託財産を残せられるよう一生懸命に頑張ってますw

じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ