「損をして得をとれ」とはどういうことか?

 
普通の人は、目の前の短期的な得をとります。あきらかに損だと感じることは、普通にやりませんよね。

先日の関東地方大雪の朝、私は自分の家の前のみならず、近所の家の前もすべて雪かきをし、幹線道路から自宅までの家3軒分の道筋をすべて雪かきしました。ついでに午前中ずっと汗だくになって、バス停までの歩道もすべて雪をどけました。

こうすることで、その日からずっと雪の影響を受けずに普通に車に乗ることができています。他の場所では未だに道路に溜まった雪が凍りつき、危ない箇所がたくさんあるのが現状です。

スーパーの駐車場などで本来の場所じゃないところにカートが放置されていれば元に戻しますし、誰にも頼まれていないのに近所の草むしりもします。自分を取り巻く場所を心地よい環境にすることで、自分自身の心が荒むことを防いでいるわけです。

PTA会長も即決で引き受けたり、地域活動でも気軽に代表を引き受けています。そのおかげでいろんな地域の仕組みを知ったり、それまでは知り合うことがなかった人たちとも繋がりができました。

月に10日くらいはそうしたボランティア活動をしていますが、そのお陰でいろんなことを知り、それがビジネスにも活かされています。ボランティア活動なのですが、自分のチャンスを広げて将来の収益に役立っています。

私はあきらかに不可能なこと以外は、他人からのお願いを即決で引き受けています。中には内容を聞かずにお引き受けすることもしばしば。その人が私にできるだろうと思って頼んでいるわけですから、当然ながら私は軽くできてしまうのです。断る理由さえありませんね。

よく「今は忙しいから落ちついたら考えます」という人は、いつまで待っても落ち着くことはありません。そう言ってしまった手前、暇な自分を見せることができなくなってしまうからです。軽く引き受けてしまえば心が楽なのに、できない理由を言ったとたんに自分の首を絞めてしまいます。

「損をして得をとれ」とは、一見して損に見えることの行き先を見通すことができる知力をつけろという意味です。短期的に得をすることでも、その先になんらかの影響でしっぺ返しをくらうことが多々あります。政府から補助金をもらって喜んでも、その財源は借金よって賄っていることを見通せるかという話ですね。

さらに「損なこと」はチャンスが詰まった宝の山です。誰も手を出したがらないことを得に変えることができれば、人生のどんな苦難も楽しく乗りきるすべを身に付けることができます。これこそが「損をして得をとれ」のお得感ですね。

 
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変えることができるのは自分と未来だけ

 
過去と他人は変えられない。しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。(エリック・バーン)

そんなことは解っていても、過去に過ぎたことをウダウダと言う人は多いものです。あのとき○○していたら… あいつがあんなことをしなければ… とか。

過去はもう変えることができないし、他人も変えることはできません。世間の親の多くが子供に言う常套句、「なんでそんなことをしたの?」という言葉には、実はなんの意味もありません。

今までの価値観で捉えると、過去の積み重ねによって未来が決まるとされてきました。学生時代によく勉強した子は、将来の勝ち組が約束されている… 良い大学へ進んで、大企業に就職するなんてコースは、もう過去の思い出話です。

未来は過去の積み重ねではありません。今現在の自分が決めたことが未来となります。つまり、未来は自分自身の手で掴むもの。そこに過ぎ去ってしまった過去は大した意味がありません。

すべては、今の自分が未来に対して何をイメージするかで決まります。今夜の夕食でお寿司を食べようとイメージした人が、近い未来にお寿司を食べることができます。昨夜に天丼を食べた人は、その結果として今夜はお寿司を食べるなどという因果関係はないのです。

もしも自分に予期せぬ出来事があったとして、その結果、自分自身の人生が変わってしまったとしても、それは他者によって変わってしまったのではなく、自分自身が変わることの方が楽だったからに過ぎません。

もしも意図的に未来を変えようと思えば、その未来をイメージし、そのために何をすれば良いかを考え、それを実行する。もしも上手くいかなければ、そこからまた方向修正をする。そうして自分と未来は変えることができます。

そうではなく、過去の思い出にこだわったり、他人を変えてなんとかしようと思っても何も得られません。自分にはもう頑張る元気や体力がないからと諦める人がなんと多いことか。世間は、何もしないで諦める人だらけです。

いつも降りている駅の一つ手前で降り、そこから歩いて目的地へ向かう。そんなちょっとした決断と行動だけで、自分と未来は大きく変わるんです。たったそれだけのことなんですよ。

 
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お金がないときはどうすれば良いか?

 
公務員(自衛官)の時は、どんなにお金がなくても給料日がくれば… ボーナスが支給されれば… 年末調整が入れば… と思ってジッと待っていました。

民間会社の歩合制で働き出したときは、働いた日数や仕事量によってもらえる金額が変わってくるので、給料日は数ある手段の一つと考え、平行して他のお金儲けも考えていました。足りなきゃ、別で稼ぐという考えです。

そして今は一匹狼の自営業。お金がいつ入ってくるかなどは、もう考えるだけ無駄。仕事がなきゃ、仕事が回ってくる流れを作る! これが自営業の常識。

お国や会社に雇われている時は、お金は誰かから与えられるという感覚でした。仕事の対価としてお金をいただくというのは一見して当たり前のようですが、自分の時間を切り売りしてお金に交換しているだけのことです。

だからお金が足りなければ、別の仕事を追加してさらに自分の残り時間を切り売りすることが当然のことだと思っていました。

ところが自営業になると… お金に対する考え方や不安感が、それまでの雇われ人の時とはまったく異なる感覚になってきます。

そもそも、お金というものは世の中にグルグルと回っているものなんです。たまたま自分のところに回ってきたときに、手数料とか通行税みたいな感じで多少の手間賃を頂くという感じです。

だから、お金が入ってくればくるほど、自分もお金を使って世の中にグルグルと回していくことが肝心。流れを止めることはタブーです。

たくさんお金を回せば回すほど、世の中で面白いことができるようになります。例えば、そのお金でまた別の事業を興すとか、自分が面白いと思うところや人に投資するとか。そうやって世の中で信頼を得ていくツールがお金です

だから、お金がなくて不安を感じるよりも、お金がなければお金が回っている場所を見つけ、そこへ移動すれば良いという感覚です。これ、サラリーマンをやってるときには想像すらできませんでした。

 
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失敗が許されない時代に、1人で勝手に失敗をする醍醐味

 
今、世間の何か窮屈かというと、どんな小さなことでも失敗が許されないという世間の風潮です。

私が20代の頃(平成初期)は、私が所属していた自衛隊の中でさえある程度の失敗が許される自由度がありました。世間の誰も自衛隊に関心を持たない時代でしたから、そりゃもうお気楽な時代です。

ちなみに、自衛隊がテレビニュースで扱われ出したのは、カンボジアのPKO派遣(1992年)からです。それまでは災害派遣でもテレビの画面に映ることすらありませんでした。

私は自衛隊音楽隊のイベントを任され好き勝手なことをやっていましたが、今考えると明らかに大失敗と言わざるを得ないことでも、まぁ別にいいんじゃないのという感じの無関心で、誰もその失敗をとがめい雰囲気でした。私自身も冒険的なことをたくさんやらせて頂き、それらは自分自身の大きな財産となりました。

これが今の時代だと、なにがあろうと失敗は許されません。そもそも成功への根拠のない企画はOKがでませんから、前例のないことは何もできないというムードです。

これが政府や自治体だともう大変です。前例のないことは予算が下りませんから、時代のニーズに合わせた新しいことは一切できない仕組みになっています。希に政治家が後押しして通る企画もありますが、それが転けるとタブーになってしまい、もう二度とその企画書は通りません。

そんな時代だからこそ、前例のないことを1人で勝手にやったとしてもライバルすらいない状況です。これはと思ったアイデアは、自分がリスクを背負いさえすれば何でもできてしまいます。

もしもその企画が成功すれば、背負ったリスクの対価として自分がその企画の第一人者になることができるのです。成功事例をパッケージにして売り込むという、先行者利益も得ることができます。

私から見ると、そこいら中にチャンスが転がっている時代です。誰もホントに行動しないのですから、好き勝手放題という感じですね。

しかしながら、実はこうした時代はもうすぐ終わろうとしています。それもあと数年〜10年くらいかもしれません。そのことが理解できている人と、そうでない人との差は、もう縮められるレベルじゃないくらい大きいのです。。。

 
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私が8年間続けている小さな習慣の凄い効果

 
実は私、ホントにたいした奴じゃないと自己嫌悪におちいること多々。

世間でバリバリと行動して結果を出している人を見ると、自分もそうなりたいけど、なかなか結果が出せないことに落ち込んで、でも悩んでいるフリをしながら気がつくと映画を見て気分転換していたり… とても平凡です。

と言いつつも、一つだけ続けている小さな習慣があります。それは、日々の出来事をパソコンに日次レビューと称して記録していること。これは2010年元旦から続けていて、いつの間にか8年目となりました。

その時々で書いてある内容は違うのですが、それがまたその時の心の有り様を記録していて、読み返していると自分がどう変化してきたかがよく解るという代物です。

逆に言うと、8年前(43歳)に私は自分を変えたいと思い、この日次レビューを書き始めました。ホントにこの8年間は激動でした。

最初の頃(2010年)を読み返すと、「妬まない、怒らない、愚痴らない。」を目標に書き込んでいます。今じゃこんなこと当たり前のことで、別に目標にすらなりません。でも、自分が変わろうと思った最初の頃は、こういうことがとても難しい目標でした。

その年の4月、長男が高校入学したときにPTA役員に立候補しました。たぶん、これが自分が変わろうとした最初のきっかけです。Twitterで知り合った方にPTA役員は経験した方が良いよと進められて行動しました。

このあと4年半後(2014年11月)に30年務めた自衛隊を退職し、翌春(2015年4月)に選挙に立候補しました。そして落選。深夜トラックで食いつなぎ、今はギリギリ自転車操業の自営業です。この間、すべての行動を毎日「日次レビュー」に記録し続けています。

きっと、この小さな習慣が私をこんなに激動の人生に駆り立てて、常に前へ向かって走り続けさせているのでしょう。恐るべき、小さな習慣の大きな力!

特に人生の到達点は決めていませんから、この後、私がどんな行動をしていくかはまったくの筋書きのないドラマです。解っているのは、1年後はまた大きく変化して今とは異なる人生を歩んでいるということ。小さな習慣を続けている限り、私自身は大きく成長していきます。

 
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失敗してしまった時の立ち直り方

 
今日の夕方、某所にてちょっとした失敗をやらかしてしまいました。

原因は、いつもなら気をつけていることが頭からスポッと抜けてしまったためです。仕事がダブルヘッダーだったからというのではなく、ほんとに単純なミスです。

私の場合、他人より馬力があるものだから、ついつい力業でやってしまおうとする傾向があるのですね。他の業者だと根性的にくじけてしまうことを、いつものバカ馬力な根性でやってしまうのですが、それがマイナスとなってしまうことが希にあります。

とにかくやってしまった失敗は元に戻せないので、すぐに次の手を考えないといけません。まず、そのミスによって最悪の場合となったことを想定し、それに対してどんな対処ができるかを考えます。

物損であれば保険で対応できるか? または交換や修理ができるかどうか? 相手に不愉快な思いを与えたなら、そのことをお詫びし誠意ある対応をします。<ちなみに男性と女性とでは対応が違います。

その失敗によってどうなるか2〜3種類くらいの対応を考えておけば、自分が次にどう行動すればよいか不安が消えますよね。

一番いけないのは、失敗を悔やんでウジウジと悩んでしまうこと。酒で忘れようなんてのは最悪の対処法です。<もっとも、私はお酒を飲みませんが…

悩む前に、次にどう行動すればよいかを考えることが大切。そこで悩んでしまうと、次の行動ができるなくなります。次の行動を起こさないと、現状は変わりません。

ホントはちょっとだけ落ち込んでしまうのですが、失敗を重ねることが成功への近道だと割り切って深く考えないようにしています。そうじゃないと… 失敗だらけの人生に負けちゃいますもの。

帰りの車の中で、大声でカラオケの練習をしているときは、たいてい何かに失敗したときです(苦笑)

 
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久々すぎてネクタイの結び方が思い出せなかった…

 
久しぶりにネクタイを締めました。

選挙に向かっていたときは、もう朝5時〜夜12時過ぎまでネクタイをしていましたけど(笑) <というか、自宅でもスーツ姿以外の服を着なかった。

もう便利屋仕事で年中作業着ですから、久々にスーツを着ると「はて? ネクタイってどうよ」状態になります。

そんなときは、いつもお世話になっているYouTube動画を見ながらネクタイを締めました。

イマドキ、どんな職人技であってもYouTube動画を見れば、なんとかそれらしい真似事ができる時代です。

日本人が大好きな修行という言葉は、ごく限られた修練が必要なジャンル以外ではもう成立しません。

ただ、細やかな修練が必要なジャンルというのは市場規模も小さいですから、いくら身に付けても食っていけるかどうかは別問題。

逆に、YouTube動画で出てこないニッチなノウハウ動画は、自分が作ればええやんという感じですね。

おっと、ネクタイの話でした。

あと、、、 スーツがちょっとキツいです(泣)

 
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○○は見ようとしないと、見えない

 
貧困は見ようとしないと、見えない」(大山憲宏『生活保護VS子どもの貧困』PHP新書)

この言葉はするどいところを突いています。ここでは「貧困」とありますが、ここに何の言葉をあてはめても通用します。

例えば、妊娠をしたとたんに街中に妊婦や赤ちゃん・幼児を連れたお母さんを見かけるようになった。今まで興味のなかったことなのに、ちょっとテレビで見て関心をもったとたんに、いろんな番組や雑誌で特集を見かけるようになった。など…

これは、その人が強くイメージを持ったことで、単に今まで見えなかったものが見えるようになっただけのこと。急に妊婦が増えたり、何かがブームになったわけではありません。

人は自分が知らないことは気がつかないし、イメージできないことは行動することができません。だからこそ、人が大きく変わるためには自分が置かれた環境を変えることが必要なんです。

勉強が苦手な子が塾へ通うのも、勉強をする環境に身を置くことが大切だからです。<ちなみに、学校は勉強だけをする場所ではありません。

そういう意味でとても心配なのは、「原発反対」や「憲法9条を守れ」など白黒つけた意見を叫ぶ方々です。こういった人たちの中では、反対意見への理解をしながら解決への議論をすることが許される環境ではないからです。

○○は見ようとしないと、見えない

世の中の問題点や、自分が生きていく上で問題と感じてることの多くは、自分が心地よく感じた意見だけを聞いているだけでは解決にいたりません。

いろんな意見を聴いた上で、さらに自分自身が行動を起こさないと何も解決できないのです。その行動とは、○○を見ようとすることです。それはとても面倒なことですけどね。

 
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