常に時代の最先端を走るクラシック音楽(第九編)

 
クラシック音楽が伝統的な古い音楽だと思ったら、それは大きな勘違い。クラシック音楽ほど、その時代の人々の生き様をありありと映し出している音楽はありません。

例えば、世界的オーケストラのベルリン・フィルが演奏するベートーヴェンの交響曲を聴くと、その違いが良く解ります。それぞれの時代の指揮者が振った音楽。フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルと、そのベートーヴェン像が全くことなる音楽と言っても良いほど違います。

崇高な精神性のフルトヴェングラー、究極の音楽美を追い求めたカラヤン、理知的な高みを目指すアバド、古楽への回帰で作品の正当性を追求したラトル。そのどれもが全く異なるベートーヴェンの交響曲を表現しました。

そして、それらはその時代が求めた音楽でもあったわけです。「歴史は歴史家がつくるもの」という考えのように、その時代の人々がどのように歴史(クラシック音楽)を解釈したかで、表現された音楽は大きく違ってきます。

逆に、その時代特有の思想を背景にしたロックやジャズのような音楽こそ、まだ歴史がないだけに新しい解釈が生まれにくいという事情があります。

2017年年末にいくつかの第九(音源)を聴きましたが、やはり最近の演奏はどれも新鮮な解釈で新しい音楽に生まれ変わっていることを実感しました。

それはベートーヴェンだけでなく、他のクラシック音楽作曲家のすべてに当てはまることです。今あらためて聴き直してみると、私が若い頃(30年前)に聴いていた音源は、どれも古い時代のムードを色濃く出した演奏に思えてきます。

こうした音楽の違いを感じ取るには、近代史や現代史、そして音楽界でのトレンドなどを知ることも大切です。どれだけ読書をしてイメージ力を増やしたかで、聞こえてくる音楽は変わってきます。

時代の様相を演奏に色濃く映し出すと言う意味で、クラシック音楽はまさに時代の最先端を走っている音楽と言えます。多様性の時代と言われる現代ですが、それは現代からの多様な視点で音楽を再構築するという、あくまで現在の視点なわけです。

と言うわけで、それぞれの時代ごとの演奏を定点観測する音源を集めてみました。さて、どんな違いが感じられるでしょうか?

 
フルトヴェングラー指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 1942年

 
カラヤン指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 1977年

 
アバド指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章 2000年

 
ラトル指揮/ベルリン・フィル 第九交響曲、第4楽章(抜粋) 2015年

 
じゃあ、またね〜 Σ( ̄。 ̄ノ)ノ